中国の書はどう楽しむ? 書家と一緒に企画展をめぐろう【後編】

中国の書はどう楽しむ? 書家と一緒に企画展をめぐろう【後編】

初心者でも楽しめる中国の書の見方のヒントを教えてもらおうと、中国人書家の熊峰(ゆうほう)先生と一緒に上野で開催中の「文徴明とその時代」展をめぐった。東京国立博物館と台東区立書道博物館の連携企画として開催されている。書は書かれている文章の意味よりも漢字の雰囲気を感じることが大切だというが、具体的にはどう鑑賞するのだろう。いよいよ後編、東京国立博物館へ!

ポイントは書体。文徴明の「小楷」は絶対見るべき!

 台東区立書道博物館の展示を鑑賞した後、その足で熊峰先生は東京国立博物館(トーハク)を訪れた。展示室は東洋館の4階にある。
 書を見るとき、書体はポイントの一つになるようだ。公文書などにも使われるかっちりとした楷書、それをやや崩した行書、行書をさらに崩した草書が知られている。楷書のベースになった隷書(れいしょ)、また、草書をもっと自由奔放に崩した狂草という書体など、さまざまな種類がある。
「文徴明の書体で特にいいと思うのは楷書です。行書や草書が90点だとしたら楷書は100点。なかでも『小楷(しょうかい)』という小さな楷書はずいぶんお手本にしました」と話す熊峰先生。そこへ、トーハクの東洋書跡研究員である富田淳さんと六人部克典さんが先生を作品「楷書離騒九歌巻」の前へ案内した。
「今回の展示の目玉です」と、六人部さん。文徴明が83歳の時に小楷で書いた作品だ。
「ああ、これは素晴らしい!」
「80代でこの字。元気ですよね」と話す富田さんに、先生も相槌を打つ。

「こんなに小さな字で、しっかり自分の風格で書ける人はいません。しかも83歳。文徴明の楷書には王羲之、鍾繇(しょうよう)、趙孟頫(ちょうもうふ)、王献之(おうけんし)、黄庭堅(こうていけん)といった歴代の書家の影響が見られます。彼らのエッセンスをみんな集めて、自分のものにしていますね」
 まるでパソコンで打ち出したかのような、正確で細かい字だ。
「文徴明の小楷の特徴を言葉で表すなら、ウェンロウチンチュエです」
 ウェンロウチンチュエ。漢字では「温柔精絶」と書き、穏やかで優しいこと極まりないという意味だ。そう聞いて改めて見てみると、小さな文字の一つひとつがなんともいえず温かで、優しさにあふれた字に見えてきた。

楷書離騒九歌巻(部分) 文徴明筆 1巻
明時代・嘉靖31年(1552) 東京国立博物館蔵/高島菊次郎氏寄贈(東博展示・通期)*

 熊峰先生によれば、すべての書体を完璧に書ける人はなかなかいないという。どの書家のどの書体で書いた作品が好きか、そんな風に見ていくのも書の楽しみ方のポイントかもしれない。

「隷書詩書巻跋」(部分)。元時代の康里巎巎(こうりとうとう)の作品に、文徴明が隷書で題跋(前書きやあとがき)を添えている。生真面目な性格が見てとれる字。
東京国立博物館東洋書跡研究員の富田淳さん(中)、六人部克典さん(右)と。「2019年の顔真卿展は中国でも話題でした。トーハクはブームの牽引者ですね」と熊峰先生。

情熱型の書か、真面目型の書か

 もう一つ、書を見るポイントとなるのはその作風だ。トーハクには文徴明だけでなく、彼と同じ明時代に活躍した人たちの作品も多数展示されている。徐渭(じょい)という書家の作品「草書詩巻」の前で、先生は足を止めた。
「この字を見てください。無我夢中になって書いていますよね。感情がほとばしっているでしょう? 全然冷静じゃない。この人はちょっと信じられないような波乱な人生を生きた人で、自分の奥さんを殺してしまった経歴の持ち主。でも、芸術家としてはすごい人です」
 七言古詩を狂草で書いた作品で、その自由奔放な書体は何と書いてあるのかさっぱりわからないが、筆致に迷いがない。徐渭の字をじっと見ていると、ざわざわと心が揺さぶられるような感情が湧いてくる。
「上手とか下手ではなくて、徐渭の作品には温かい熱のようなものが流れているんです。芸術は大きく分けると二つあります。情熱型と、真面目型。情熱型が徐渭なら、文徴明は真面目型の頂点。書の世界では、中間の人で有名な人はあまりいません」

 さらに、先生から「これも絶対見るべきですよ」と勧められたのが、明時代の後期を代表する芸術家、董其昌(とうきしょう)の作品「行書五言絶句軸」だ。
「優しく、強く、たおやかで、品がある。情熱型のなかにも色々あって、この人はロマンチックですね。淡墨ともいいますが、墨が薄いでしょう? 薄く、線が細くても温かさがある。古典をベースにして自分の気持ちを表現する、文人の最後の時代の人ですね」

行書五言絶句軸 董其昌筆 1幅 明時代・16~17世紀 東京国立博物館蔵/高島菊次郎氏寄贈(東博展示・通期) *

「董其昌の字は日本語の仮名の雰囲気があるように思います」

 熊峰先生によれば、中国は明時代が終わると文人の文化が衰退し、いい書画の多くが海外に渡ってしまったという。日本にも明時代の作品が江戸時代に伝わり、人気を博したそうだ。トーハクの富田さんは「今回の2館の展示で、日本にある文徴明の作品はほとんど集めたと思います」と話していたが、時代も場所もめぐりめぐって、日本と中国で活躍する中国人書家が、ここ東京・上野で文徴明展を鑑賞していることがなんだか不思議だ。

 漢字は中国と日本に共通する文化。先生は「書は“法”(技術)だけではなくて、“意”(心)も学ぶことが大切」とも話していたが、漢字の雰囲気と同時に、作者の心も感じようと作品を見ると、初心者でも展示をかなり楽しむことができるように思う。熊峰先生と一緒に「文徴明とその時代」展を見て、書の世界の深い部分に、ほんの少しだけ触れた気がしたのだった。

文/森 麻衣佳 撮影/平野晋子 写真提供/東京国立博物館(*のみ)

熊峰(ゆうほう)
書家。日中書法協会代表理事。1965年中国、江西省南昌市生まれ。3歳から書を学び、中学卒業後は国策でエリート教育を行う「少年宮」の学生に選ばれ、書道の専門教育を受ける。1999年に書家の手島右卿に憧れて来日。「日本書道専門学校」に入学し、日本の仮名書道を学んだ。現在は南昌大学や北京師範大学、上海交通大学など、中国の大学で教鞭をとるほか、日本でも書道教室を主宰。海外でも個展を多数行っている。2019年に放送されたNHK BSの番組「奇跡のレッスン・書道編」で、わかりやすくユニークな指導法が話題となった。

東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画「生誕550年記念 文徴明とその時代」

会期:2020年1月2日(木)〜3月1日(日)
時間:9:30〜17:00
会場:東京国立博物館 東洋館8室
※金曜、土曜日は21:00まで開館
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日
URL:www.tnm.jp

※この記事は2020年2月現在のものです。

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