無脊椎好きエッセイスト、博物館のカニ研究者を訪ねる!【後編】

無脊椎好きエッセイスト、博物館のカニ研究者を訪ねる!【後編】

海の無脊椎動物をはじめ、“不思議”を愛するエッセイストの宮田珠己さんが、国立科学博物館の海生無脊椎動物研究員、小松浩典さんの研究室を訪ねた。研究室は茨城県筑波地区にある。小松さんの主な研究対象はカニ。小松さんがカニに惹かれた理由を掘り下げて聞いたところ、「メカニック度」が高いからだと知った宮田さん。さて、いよいよ本題となる日々の研究内容へ。後編の始まりです!

分類学者はカニに名前をつけられる

小松さんの専門はカニの分類学である。

日々どんな仕事をしているのだろうか。実は小松さん、これまでに約30種のカニを名付けたそう。

そんなにたくさんの新種を見つけるのは大変だと思うが、小松さんによればまだ名前のついていない種がたくさんいるらしい。

「小さな甲殻類には名前がないものが多いんです」

小さなカニといえば、まさしく私が国立科学博物館で見たあれだ。なんでも現在、世界に約7000種見つかっているカニのうち、大部分は甲羅の長さが1センチに満たない種だそうである。

1センチ以下がそんなに?

「そうなんです。だから食べられるカニっていうのは限られたもので、一番小さいカニなんて甲長2ミリぐらいですね」

そうだったのか。まったく知らなかった。いつも食べているカニは、カニのなかでも巨大なタイプだったのだ。そう聞くとちょっと不気味である。まるで怪物を食べているみたいではないか。

それにしてもそんな甲長2ミリしかないカニを見つけるのは大変ではないのだろうか。

「いやそうでもないです。ドレッジといって底引き網で捕ってきて、それをふるいで振るってそこから丹念に拾っていくんです」

そうして捕ってきたカニを濾して選んで、そのDNAを採り、種を同定し、論文を書く。それが小松さんの仕事だ。

「こないだは小笠原の南の北硫黄島まで行きました。無人島なんで父島から漁船で11時間かけて……」

父島から漁船で11時間!

まるで冒険家だ。

私だったら船酔いで逃げ帰りたくなるにちがいない。いったい何しにそんなところまで。

「このときはホウキガニを探しに行ったんです。台湾で見られるタイワンホウキガニと、小笠原で見られるニシノシマホウキガニが実は同じ種なんじゃないかということで調査に行きました。ミトコンドリアDNAを調べてみたら、やはり同種であるってことがわかりました」

同種であることがわかると、先についていた名前に優先権がある。このカニの名称はニシノシマホウキガニに統一された。

「こういうことが分類学の仕事なんですね」

ホウキガニの爪の先には毛が生えている、と小松さん。
小笠原諸島の父島から漁船で11時間かけて見に行ったニシノシマホウキガニ。
小松さんが名前をつけた「Merocryptoides ohtsukai オオツカヒメツバサコブシ」。
同じく「Nursia alata ツバサロッカックコブシ」。どちらも甲長3ミリにも満たないが、れっきとした新種。

巨大な収蔵庫はカニだらけ

このあと小松さんが収蔵庫を見せてくれた。研究室とは別棟にある巨大な収蔵庫には、車も入るぐらいの巨大なエレベーターがあって、それに乗っていく。ちょっとSFのよう。

たどり着いた収蔵庫は、高い天井の下に巨大な白いストレージが隙間なく並ぶ一見無機質な空間だった。小松さんがボタンを操作すると、ストレージの間隔がゆっくりと開いてそこに通路が現れた。

通路の両側に標本の入ったエタノールの壜がたくさん保管されている。見れば棚のどこを見てもカニだらけだ。無脊椎動物好きの私としては、この棚全部チェックしたい気持ちに駆られたが、甲殻類だけで約26000ロットあると聞き、あきらめた。ひとつの壜に複数の個体が入っていることもあるので、標本数にすればその5倍ほどはあるそう。すごい量だ。

ちなみにカニの標本はどのぐらいあるんですか、と尋ねたが、正確には把握しきれていないとのこと。日本には約1200種のカニがいるが、全部を収めているわけではないようだ。だとしても、相当な量であることは間違いない。このコレクションが、国立科学博物館の展示を支えているのだ。

3年前に子どもが生まれた小松さん。今はカニより子どもがかわいい? 聞けば奥さんはヒトデの研究者だそう。
小松さんお気に入りの標本のひとつ。カラッパという種類のカニ。ハサミを閉じて甲羅に沿わせるとなめらかな丸っこい形になる。
国立科学博物館全体で、約420万点もの動植物標本がある。

上野の国立科学博物館の日本館で見た、たくさんの小さなカニ。

つい大きな展示にばかり目がいきがちだが、そうした小さなカニにも専門の研究者がいて、幾多の物語と発見が隠れている。見る側はそんなことは何も考えずにただ眺めるだけだが、博物館の展示は、多くの研究者たちの努力と研究成果が結実したものだ。

「日本館の展示には私も少し関わりましたが、もしまた関われるのなら、カニの生態までわかるような展示をやってみたいと思っています。たとえばサンゴガニは必ず雄と雌のペアで暮らしています。標本を並べただけではそこまではわかりません。できればそういうところまで伝えられたらと……」

小松さんはそう語る。

「さらにホウキガニなどは硫化水素をエサとするような細菌を共生させているのですが、そうした生態も見せたい。ただ細菌の標本は小さいので見せ方は工夫が必要でしょうが、映像ではなく、本物を見せたいですね。やはり博物館なので」

余計なお世話かもしれないが、できたらそこに、カニのメカニックな魅力が伝わる展示も加えてほしい、と思ったのである。

国立科学博物館日本館の展示。生態まで伝えられるような展示をいつかやってみたいと小松さんは語る。

文/宮田珠己 撮影/三吉史高

小松浩典(こまつ・ひろのり)
国立科学博物館動物研究部海生無脊椎動物研究グループ研究主幹。専門は動物分類学。十脚短尾類(カニ類)の系統分類に関する研究を行う。2004~2006年北海道原子力環境センター水産研究科研究職員、2006~2007年国立科学博物館動物研究部動物第三研究室研究員、2007~2014年同海生無脊椎動物研究グループ研究員、2014年より現職。

宮田珠己(みやた・たまき)
作家、エッセイスト。紀行ものや書評など、幅広く執筆活動を行う。『わたしの旅に何をする。』『晴れた日は巨大仏を見に』『ジェットコースターにもほどがある』『ふしぎ盆栽ホンノンボ』『四次元温泉日記』『いい感じの石ころを拾いに』『無脊椎水族館』など、著書多数。“不思議”に惹かれ、海の生き物、巨大仏、迷路、ベトナムの盆栽、石ころのほか、最近は狛犬にも関心を寄せている。2017~2019年朝日新聞書評委員。『日本の路線図』(共著)が2020年3月、『ニッポン脱力神さま図鑑』が2020年4月発行予定。

国立科学博物館

住所:東京都台東区上野公園7-20
開館時間:9:00~17:00(金曜・土曜は20:00まで)、変動あり
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)、年末年始ほか、臨時休館あり
URL:https://www.kahaku.go.jp

※この記事は2020年2月現在のものです。

Other Article