中国の書はどう楽しむ? 書家と一緒に企画展をめぐろう【前編】

中国の書はどう楽しむ? 書家と一緒に企画展をめぐろう【前編】

「文徴明とその時代」展が上野の東京国立博物館と台東区立書道博物館で、連携企画として開催されている。中国の明時代(1368〜1644年)の中期に活躍した書家の文徴明(ぶんちょうめい/1470〜1559年)と、彼を育んだ当時の蘇州の文化芸術を紹介する内容だ。中国の書と聞くとなんだか難しそうだけれど、初心者が楽しむにはどうすればいい? そのヒントを教えてもらおうと、NHK BS「奇跡のレッスン・書道編」でも注目された中国人書家の熊峰(ゆうほう)先生と一緒に2館をめぐった。前編では台東区立書道博物館へ。先生、誰にでもわかる書の見方を教えてください!

大切なのは漢字の雰囲気を感じること。意味はわからなくてもいい

「文徴明は不思議な人。8歳まで言葉ができなかったといわれています。エリートの生まれですが若い頃は字も下手で、科挙というテストにも何度も落ちました。それでも努力を続け、ついには“呉門(呉派)”と呼ばれる蘇州の芸術界でトップの座にのぼりつめたんです」
 書道博物館に着くなり、文徴明のエピソードを語り出した熊峰先生。テーマの人物はどうやら天才タイプではないらしく、親しみが湧く。1階に展示されていた文徴明の絵の師匠・沈周(しんしゅう)の作品を前に、熊峰先生は頷きながら「いいですねえ」とつぶやいた。
「沈周のようないい先生が彼を育てたのです。当時の書家は絵も描けないといけませんでしたからね。文徴明は90歳まで生きましたが、いい先生について努力して、長い人生をかけて大家になったんです。当時の90歳は今でいう160歳くらいの感覚。本当の大器晩成です」

菊花文禽図軸 沈周筆 1幅 明時代・正徳4年(1509) 大阪市立美術館蔵(書博展示・通期)*
沈周の「七星桧書画巻」(部分)。墨一色で描かれているとは思えない、生命力に満ちた絵。
「中国の明時代は276年も続きました。中期は文化的にも面白く、一人の天才が出たというよりも、文人がグループとなって活躍した時代でした」と熊峰先生。

 熊峰先生によれば、書を見る際、書かれている文章の意味はわからなくてもいいのだという。
「中国の書はすべて漢字でしょ? 大事なのは文章の意味よりも、漢字の雰囲気を感じること。ああ美しいなとか、安定感があって温かいとか、勢いがあるなとか。字を見た時に湧き上がってくる感情が大切なんです」

 2階の展示室へ入ると、文徴明が66歳の時に書いた「草書千字文冊」の前で足を止めた。
「これはいいですね。しっかりと力と心を込めて書いています。まさに『入木三分(ルームーサンフェン)』です」
「入木三分」とは、筆力がみなぎっていることを指す中国語。書聖といわれる王羲之(おうぎし)が字を書いた木を削ったところ、墨の痕が深さ三分も木に染みていたことから生まれた言葉で、物事を深く追究することも表す。確かに、崩した書体なのに一字一句を丁寧に、じっくりと書いている感じがする。努力家の誠実な人柄が漢字の雰囲気に表れているように思えた。

草書千字文冊 文徴明筆 1帖
明時代・嘉靖14年(1535) 台東区立書道博物館蔵(書博展示・通期)*
「この書に使われている墨や紙、筆、硯もすごくいい。当時の文化がいかに豊かだったかがわかります」と、熊峰先生。虫食いが多いのは、それだけいい紙だからだそうだ。

 文徴明の息子、文彭(ぶんぽう)の書も展示されていた。文家は文徴明の後、ひ孫の代まで文人(詩文や書画などに従事する人)の家系として栄えたという。「息子はお父さんよりも才能があったといわれています」と熊峰先生。均整のとれた、とても美しい字だ。
「うん、確かに美しいし上手です。でも、お父さんの字の方が独特の味わいがあります。文彭は技術が高いですが、美しいという感想の後に湧き上がってくる感情は少し弱いですね」
 書は上手いか下手かだけを見るものではないんですよと、先生はなかなかに手厳しい。

特別展示室で歴代の名品に出会う!

 目利きでもあった文徴明のもとには王羲之や顔真卿(がんしんけい)の書など、歴代の書の名品が集まってきたという。そうした名品などの筆跡を写し、その字を石に刻んで拓本にとったものが「法帖(ほうじょう)」だ。現代でいうトリビュートアルバムのようなものか。字の教材としても価値が高く、「文徴明は教育家としても立派でしたね」と、熊峰先生。法帖作りに熱心に取り組んだ文徴明は、当代きっての名匠に刻字を依頼するというディレクター的な仕事もした。
名匠による流れるような筆致は、とても石に刻まれた字とは思えない。

唐時代の書家・懐素の「自叙帖 —水鏡堂本—」の法帖(部分)。文徴明が写した懐素の字を名匠・章文が石に刻み、拓本にとったもの。「懐素は自由奔放な人物。真面目な文徴明は、どこか憧れの気持ちがあったかもしれません」

 また、2階の特別展示室には、文徴明がかつて目にした書の名品も展示されている。その中の一つの作品の前で熊峰先生は動かなくなった。ガラスケースを食い入るようにじっと見つめている。
「これはすごい。ここにあるなんて。本物ですか?」
「はい、もちろん本物です。明時代の大収蔵家の印も押してありますから。当館の創設者である中村不折が買ったものです」と、書道博物館研究員の中村信宏さん。
「すごい! 信じられないくらい、すごい」

 900年代に活躍した書家の楊凝式(ようぎょうしき)による「神仙起居法」という作品で、仙人になるためにどうやって生活をすればいいかが詩で詠まれている。
「私自身、若い頃に一番練習したのがこの楊凝式の書です。もう何百回臨書したことか。王羲之以外で一番の人物だと思います。文徴明もきっとこの人の書を手本にしたでしょう」
 まさかここに本物があるとは、と先生はしきりに感激している。

楊凝式の「草書神仙起居法巻」(部分)。前期展示(2020年1月4日〜2月2日)の目玉の一つ。

 青い紙の上に書かれたその書は、今から1000年以上も前の肉筆。字はところどころかすれ、墨の濃淡もあり、まるで仙人が書いたかのような不思議な味わいがあった。

 常設展にも立ち寄り、2時間かけて書道博物館を堪能した熊峰先生。先生の解説を聞いてから改めて作品を見てみると、字の見え方や感じ方が変わってくる。書を見るのがだんだん楽しくなってきたことを実感しながら、2館目の東京国立博物館へ向かった。

後編へ続く

書道博物館の2階展示室。奥の展示室には、文徴明たちに影響を受けた日本の書も展示されていた。
書道博物館研究員の中村信宏さんと話す熊峰先生。「文徴明は貧しい人には餅1個で書を書いたというエピソードも残る人格者。企画していて、これほど気持ちのいい人物はいませんでした」と、中村さん。

文/森 麻衣佳 撮影/平野晋子 写真提供/台東区立書道博物館(*のみ)

熊峰(ゆうほう)
書家。日中書法協会代表理事。1965年中国、江西省南昌市生まれ。3歳から書を学び、中学卒業後は国策でエリート教育を行う「少年宮」の学生に選ばれ、書道の専門教育を受ける。1999年に書家の手島右卿に憧れて来日。「日本書道専門学校」に入学し、日本の仮名書道を学んだ。現在は南昌大学や北京師範大学、上海交通大学など、中国の大学で教鞭をとるほか、日本でも書道教室を主宰。海外でも個展を多数行っている。2019年に放送されたNHK BSの番組「奇跡のレッスン・書道編」で、わかりやすくユニークな指導法が話題となった。

東京国立博物館・台東区立書道博物館 連携企画「生誕550年記念 文徴明とその時代」展

場所:台東区立書道博物館
会期:2020年1月4日(土)〜3月1日(日)
時間:9:30〜16:30
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日
URL:www.taitocity.net/zaidan/shodou

※この記事は2020年2月現在のものです。

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